
学生の頃はやってみたいことに対しての時間がたくさんかかった気がする
社会人になると、いかに短い時間で成果を出すかを意識するようになった気がする
そうすると自然と短い時間で解決、完了しない仕事のことや趣味のことに対して無駄なことと思ったり、それに費やしている時間があるならもっと短時間で結果が出るものに焦点を当てていた気がする
例えば、仕事で言えば問題解決のための情報収集や趣味だったら分厚い本や英語の勉強など時間がかかるだろうというものに対して無駄だと決めつけていた
上記のことは確かに大切なことだと分かっている
問題解決の情報収集は原因究明に必要なことだし、分厚い本を読むことで知らなかったことを学べたり、英語の勉強は時間がかかるのは当然なんだけど、
いかんせん時間がかかる!
そんなことに時間を割くならもっと簡単に自分の求めている答えに辿り着くためのものがないか探して行った方がいいと思うのは普通のことだと思っていた
効率が良ければ時間をいろんなことに使えて有意義だと思っていた
だって24時間平等に与えられているのなら、自分のやりたいことを1日の中で沢山やりたいと思うのは当然だと思っていた
そうすると、分厚い本や英語の勉強や仕事で時間のかかりそうで面倒くさいものは、他で沢山やりたいことができない悪のような存在になってしまう
だから分厚い本の代わりに薄い本ですぐ読み終わるような本、英語の勉強は時間がかかるからやっても無駄、面倒くさい仕事はやらないですぐ終わるような業務だけと、他にやりたいことも出来るような行動や思考になってしまう
でもちょっと待てよと
すぐ読み終わる本って自分にとって学べるものは少ないよね、だってその本って既に知っている情報だったりするし、英語の勉強だってただ成果がすぐに得られないからの先延ばしだし、仕事も結果に伴っていない無駄なことだったりと
行っていることが本来の目的と違っている気がする
ここで考えたのが時間がかかりすぎることは果たして無駄なことなのかということだ
基礎知識がない、初めて行うことは当然時間がかかるし間違いや失敗は多い
これを無駄なことと考えてしまうと、自分の経験したことの上でしか考えられなくなる
例えば、友人が1時間で終わってことを自分も1時間で終わると思っていたけど実際やってみたら倍の2時間かかってしまった
その倍の時間に対して「自分はこんなにも時間をかけてしまった、自分は出来ないやつなんだな」って思ったら、これからは自分が出来そうなことしかしなくない?
なんで他の人と時間を比べなくちゃいけないの?
なんでそんなに焦る必要があるの?
そんなことで「あ〜自分ってできない人間なんだな」って思う方がおかしいよね
だって1時間でできた人は自分よりも基礎知識があったり、経験値が違ったりと立っている土俵が違ったりする
それを自分も同じ土俵に立っていると勘違いからこういう風に時間のかかることに対して無駄なこと、勿体無いことと考えてしまう
そうすると少しでも難しそうと考えてしまうと、手をつけなくなる可能性が出てしまうなと思った
人によって状況って違うじゃん
なのに自分は他の人と同じという認識を改めた方がいい
時間かかかることなら自分は基礎知識がない、だから時間がかかるのは当たり前だし、自分がやりたいことに対して時間がかかってもなんら問題はないはず
好きなアニメを時間がかかっても観たって、時間が無駄だったりもったいないと思わないはず
だから時間を短くという効率化を目指してしまうと時間に縛られてしまうかもしれない
それよりも時間がかかっても得られるものが全体の80%もあったら有意義な大切な時間だと思うんだよね
短い時間で成果を出せるなら越したことはないけども、得られるものが全体の20%だったら逆にその時間が勿体無い感じると思うんだ
つまり難易度の低いことを沢山行ってもなんの成果もないよねの一言で終わります
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