最近、才能の見つけ方や得意分野で自分に合った環境で働こうと言っている本も見かけたことがありました。
早速自分の才能はなんだろうと考えた時正直「何もないな〜」と思いました。
だって、そんな「才能」というものがあったら、その才能を活かして素晴らしい成果を出しているはず。
しかし、そんな才能を活かした生活をしているかと言われれば、真逆な生活、才能を活かした生活をしていない。
つまり、才能を活かして自分に合った環境で生活している人の方が少ないんじゃないかって思ってしまった。
そして、才能を見つける本に書かれていることは、「人の気持ちに寄り添える才能」とか「人の話を聞ける才能」とか「感謝できる才能」とか
いやいやいや、確かにそういう「才能」を持っていることに気づかせてくれることは非常にありがたいし、客観的に見れることですごく参考になるんだけど、自分が思っている「才能」とかけ離れているって、ツッコミを入れながら本を読んでいました。
だって「才能」のイメージって、「ずば抜けた走力」「誰よりも早い計算能力」「誰も考えつかない発想力」「リーダーシップ」
誰よりも1番の力を「才能」と思っていたから、本に書かれている才能は、誰だってそれくらいのことは持っているじゃんと言えてしまえそうな内容だった。
もちろん、その本に書かれている「才能」全部自分は持っているのかと言われれば、持っていない物も沢山ある。
だから、自分にある才能について特段すごいものじゃなく誰でもこれくらい持っているだろうと価値を下げないようには見てはいるけど、自分の中で納得できなかった。
書かれている内容を素直に受け入れればいいことなのに、自分の思っている「才能」が書かれていないというだけで、この本はダメな本と判断してしまいそうになっている自分も嫌になる。
100か0かで考えてしまうから、受け入れられないのかもしれない。
さっきも言ったが、本に書かれている自分の「才能」というものは、産まれてすでに身についてた能力じゃないし、誰だってこれくらいのことは持っていると思うことにも理由があるからだ。
その理由とは、どれだけその才能の行動をしたかによるんじゃないかと思った。
つまり時間をどれだけ才能に使ったかということだ。
例えば、自分には「人の話しを聞く才能」があるそうです。確かに人に話しはよく聞く方です。
しかし小さい頃なんて人に話しはろくに聞かないし、むしろ人に話しなんて邪魔、私の話し、意見が正しいと考えている時だってあります。
親の話しなんて聞きたくもないし、注意されること、新しい意見なんて取りいえるなんて考えられない、とか「人の話しをよく聞く才能」なんて1ミリもありませんでした。
それが大人になって「人の話しをよく聞く才能」があるなんて言われたら、こんな自分でさえ人の話しを聞けるんだから他の人なんてもっと聞けるだろうって考えるのは普通だと思ったりもします。
そこで仮説をたてました。
どれだけ時間をかけたかによって「才能」という言葉は決まるんじゃないか。
むしろ「才能」という言葉よりも、これまで「自分はどんな動きをしてきたか」に注目するといいのかとも思った。
例えば、私は山登りをしていたことがあります。
私にとって簡単な山登りと厳しい山登りもありました。
そしてその「簡単な」という部分は自分にとって「なぜ」簡単だったのかを考えた時、登る時間が1時間未満、元々運動していたから山登りするだけの体力はある、服装は普段着でもOK、登山道が綺麗に整備されている、登山者が多い、むしろ登山というよりもハイキング、持ち物は少ないなどなど
自分にとって、「簡単」と分けることは人それぞれです。
そのため、自分にとって「簡単」なことでも人によっては「過酷」「無理」「そんな体力ない」と、自分とは真逆なことを考える人もいます。
そのため、これを「才能」と言われると私にとっては「全然違う」と言うでしょう。
なぜなら、私にとって「簡単」と言えるまでの道のりがあるからです。
例えば、登る時間が1時間未満は私にとって簡単と「今」は言えますが、学生の頃の私だったら1時間の山登りなんて「地獄」「無理」「そんな体力もない」の「才能」がない側です。
それが運動したり、体育の授業で走らされたり、部活でも走らされたり、友達と遊んでいたりして自然に体力がついて、何回か山登りをして体もメンタルも1時間に山登りに慣れてきてやっと「簡単」な山登りと言えるので、一言「才能」があると言われると、その簡単と言うまでにどれだけなことをしてきたかの「過程」があるのです。
私は「才能」と言う言葉よりも物事を達成するまでの「過程」のなかに自分らしさ、自分だったらこうしているという「自分の動き」に注目することが「自分の才能」を見つけられる1歩になるんじゃないかと思った。
「自分の動き」とは、何か達成できたことに対して、自分はどんなことをしたのか、どんな風に考えたのか、すぐに達成できなくてもどうやって自分なりに諦めないで行動できたのかなど、自分についてを一言にしたものです。
例えば、さっきの山登りで言うと、私の場合、山登りする場所の地図や登頂できるまでの時間配分、持ち物、体力はあるのかないのかの確認、山までの交通手段、金額、宿泊が必要か、避難するときのタイミングはいつか、山まで何をしながら行こうかな、辛くなった時どういう風にするか、実際登った時予想よりも辛かった時、予想外な展開になった時自分の行動、など自分が考える癖で、今の自分の動きが分かります。
これだけのことでも、自分には情報収集、リスク管理、臨機応変と人から言われそうな能力がありそうです。
でも、これも生まれ持った時から持っているものじゃありません。山登りの本を読んで参考にしたりといろいろ試したから出来た結果なので、元々は情報収集や臨機応変などの能力は低かったと思います。
よく両親から「落ち着きない」「ものをよく無くす」とか言われるくらいですから笑
コメント