
学ぶはなんでもいいと思う
学びはなんでも学び
ファッションもそう、絵もそう、お金もそう、なんでも学びだと思うとハードルは下がる
知ってるよりも知らないことの方が人は多い
それを知ったかするのはもったいないし、なんの意味もない
知らないことは恥ずかしいことでもないし、学がないわけでもない、触れてこなかっただけ、それが何歳でも触れることは学ぶ入り口、知らないことは理解するのに時間はかかるけど、過去よりも理解はしてる
理解できなくて怒られたり、つまらなかったりするけど、分かった時の快感はなによりも変えがたいと思う
だから自分が学びたいものは学んだ方がいい
人生は短い、自分の人生は長くても100歳まで
どれだけ自分が学びを深めたいからを決めた方がいいと思う
選択してさらに選択して限られたものを学んでみる、深く
それでいいと思うならそれでいい
それがダメならいろんなことをしてもいい
人は変わる、物事も時代も変わる
不変なものがあると思っていると、苦しいだけ
なぜならそれだけを求め、目の前からそれがなくなればどうしようもない気持ちになるからだ
依存というやつだろう
水の流れのように変わることを拒まない、受け入れる
自分の好きなものや思い出を今になって行っても誰が文句を言おうか
意味を探したらキリがないし、それすら意味がない
スミレが咲く意味はなんなのか、それはその見ている人が決めることで、すみれは世界のため、この場所のために咲くぞという意味を持っていないし、咲く場所を自分で決めたわけでもない、人もそう、物もそう、自分というよりは誰かがその場所に運んだかのような感覚だろう
自分がという考えだと心は窮屈になる
意味がなけりゃダメというならそれに意味をつけてもいい
しかしその意味は誰が納得すればいいのか
自分が意味に対して納得したいならそれでいい
意味を考えることこそ意味があるならそれもいい
でも意味があるという不変なものは本当に必要なのだろうか
それよりもこの場所で自分が生きることに向き合うことがいいのかなと思う
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